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言葉のリズムを考える。

スナップエンドウを食べると春がきたことを感じる。

僕は湯がいたスナップエンドウをマヨネーズで食べるのが好きだ。

なんでスナップ?よく考えたら、スナップってなんだ?

英語でsnapは、「ポキっと折れる」という意味だそうだ。

そういう名前だから、これは日本発祥の野菜ではないことが

なんとなく予想がつく。

アメリカで生まれた品種だそうだ。

いつの間にか日本の春野菜の一つになった。

スナップが英語で、エンドウが日本語。

えっ?エンドウって、そもそも何?日本語なん?

エンドウは漢字にすると「豌豆」と書くらしい。

宛の豆(えんのまめ)という意味があって、ウズベキスタンのフェルガナ地域が発祥だそうだ。

この国家を当時「大宛国(だいえんこく)」と言っていたことから、

宛の国の豆→宛の豆→豌豆になったそうだ。

であれば、エンドウ豆って、漢字にすると豌豆豆になる。

豆が2つあるということになってしまう。豆編まで入れると3つか。

それをあきさんに話したら、「頭痛が痛いみたいな感じだね」と言った。

他には英語の名前だとグリーンピースがある。なんておしゃれな名前なんだ。

枝豆とは大違いだ。でも僕は圧倒的に枝豆の方が好きだけど。

このように、日本では暮らしの中に英語と日本語が混在していて、

それを言いやすい方に使い分けている。

カフェに行けば、牛乳紅茶とは言わない。ミルクティーだ。

カッターナイフのことは、カッターという。

カッターはカッター。日本語にすると刃物?刃物といえば包丁だ。

ティッシュもそうだ。ちりがみというのは昭和時代だ。

スリッパのことをツッカケとは、ほとんど言わなくなった。

僕たちは日常の中で、無意識に呼びやすい方、響きが良い方を選んで話す。

言葉は音の中にある。言葉はもともと音から始まったからだ。

「アー」とか「ウー」とか音だけでは意味をうまく伝えることができないから文字が生まれた。

文字はやがて会話として言葉になっていくが、言葉は人が発する時点で波長やリズムを生み出す。

耳に残るもの、心地良い響きのもの、言いやすいもの、伝えやすいものが残っていく。

五七五の俳句がまさにそうであるように、日本人のDNAには「言葉=リズム」があると思う。

日本人は四季の国の感性がある。

他国に比べても、豊かな表現力を持つ。

もうすぐ梅雨になっていくが、雨の音でも

しとしと、ぱらぱら、ざーざー、ぽつぽつ、ざんざん・・・って表現するし、青時雨(あおしぐれ)、青梅雨(あおつゆ)、秋微雨(あきこさめ)、秋さづい(あきさづい)、秋時雨(あきしぐれ)、秋湿り(あきじめり)・・・・・・など調べたら、雨関連の季語(言葉)がいくつも出てくる。

そんなに細分化しなくてもいいんじゃないかと思うくらいだ。

日本人の言葉には美しさがある。

ヴィヴィアン・リーの普及の名作である「風と共に去りぬ」なんて

英語では、Gone with the wind。英語だとなんというか、風情がない。

これを「風と共に去りぬ」という美しい響きの言葉に略すなんて、すごいセンスだ。

goneは「消える・去る」という意味があるけど、「〜と去る」にせずに、

「〜共に去りぬ」とした。「共に」がつけば、そこに意志や関係性が生まれる。

「去る」と「去りぬ」では音の響きが違う。音だけで「去る」と聞けば、猿のイメージが出てくる。

Tomorrow is another day(明日はまた別の日)という名言もそうだ。

「明日は明日の風が吹く」に訳しているが、これを考えた人はセンスがすごい。

僕が好きな映画である「舟を編む」もいい響きを持つ。

映画の内容は簡単に言えば、辞書(広辞苑/映画では大渡海)を作る仕事の話なのだが、

あんなに分厚い辞書を作るのに、12年の歳月をかける。それはまさに舟を編むほど気が遠くなること。

さらには人生を海に例えて、言葉の海を渡るための舟のような存在である辞書を作る。という意味で

「舟を編む」というタイトルにしているのだが、すごく美しい言葉だ。

舟と、糸に使う編むを組み合わせるなんて。

しかも辞書編集者の話なので、編集の編である編むが入っている。

これ以上ない完璧なタイトルだ。

言い方は悪いが、さっきのスナップエンドウの組み合わせとは、えらい違いだ。

(スナップエンドウ、ごめん。君は何も悪くないが、引き合いに出してしまった)

あっ、なんかまた話が長くなりそうな雰囲気が出てきたので、

今日はこれくらいにしておこう。

ちなみに、ガソリンスタンドという言葉は日本人が考えた英語風の造語だ。

いかにも英語のような顔をしてるが、英語ではガスステーションだ。