お知らせ
叱りはハラスメントなのか?
新玉ねぎの春。あきさんの実家の玉ねぎがうまい。
畑で採ってきたばかりの玉ねぎは、そのまま炒めるだけで十分だ。
甘味とシャキシャキ感で箸が進む。
緑は、玉ねぎの葉っぱだ。畑からとってきた玉ねぎは、葉っぱも一緒にいただく。
玉ねぎの葉っぱは、ネギと同じような食感でうまい。
残さず食べる。大根もそうだ。畑の大根は、葉っぱまで食べる。
もったいない精神というか、食べられるところは捨てずに食べる。
もったいない精神といえば、
以前、20代半ばに料理人の見習いをしていた頃の話だ。
僕は仕込みの準備で、青ネギを刻んでいた。青ネギの先には根っこがある。
その根っこの1cmくらい上のところから切って捨てた。
そうしたら、それを見ていたシェフ(店の大将)から、叱られた。
「おまえ、そこで捨てるな!もったいないやないか!大事に使え!」と。
そう、あと1cm分使えるのに、なぜそこで切って捨てるのだと叱られた。
食材を本気で大切にすることを学んだ。
自分ではちゃんとしているつもりでも、料理人は本気だ。
意識が違った。
それから青ネギを見ると時々、その言葉を思い出す。
叱られることも大事なことだ。
時に叱られることで、大事なことを記憶する。
僕は31歳の独立するまで仕事で、かなり叱られて育った。
それは、技術的なこと、技能的な職種に身を置いたからだ。
僕の上司となる人が、職人気質が多かったというのもあるかもしれないが・・・
今はどうか分からないが、職人・仕事人の世界には「叱り」がある。
「怒り」ではなく、「叱り」だ。
叱りは、人を成長させてくれる。
それは、生きていくための学びや成長の中に「叱り」が存在するからだ。
料理の世界や広告の世界もそうだが、自分の身ひとつでやっていくことは厳しい。
ちょっとした手抜きが、仕上がるものに直結する。
他の世界もそうだが、気を抜くことで命を落とす現場もある。
ミスが起こってからでは遅い現場もある。
小さなことでも、気をつけろ。大事にしろ。という叱りは、自分を守るためでもある。
(ちょっと話が硬くなってしまったが・・)
あまり「叱り」が続くと疲弊するからバランスが難しい。
でもこの時代には「叱り」はハラスメントになるのかな。
ちなみに僕は、人を叱ることができないタイプだ。
だから、人を叱れる職人みたいな人に少し憧れる。
人を叱れないけど、叱られて育ってきて良かったと思っている。
独立して16年。おかげで、なんとかやってます。
