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ゴーヤは誰が置いた?

家に帰ったら、玄関の横に置いてる丸太の上に

ゴーヤが3本置いてあった。

誰かが届けてきてくれたのだろう。

こういう場合は、だいたい近所に住むあきさんのお母さんかな?と

思うところだが、でも違う!

なぜなら、さっきまであきさんのお母さんと一緒にいたからだ。

じゃ、誰だ?

姪っ子か?それとも近所の人だろうか?

誰だ?誰が置いたんだ?

そう思った時に、想像の中にトトロかな?と思ってしまうところが、

宮崎駿のすごいところである。

誰か分からないまま、僕とあきさんは町内の夏祭りに出かけた。

夏祭りでは、ラムネ一気飲みゲームに参加した。

組合ごとにチームを組んでどのチームがラムネを早く飲めるかを競うものだ。

僕の結果は散々だった。僕はラムネを飲むのが遅かった。

ラムネの瓶に入っているあのビー玉の引っ掛けがうまくいかずに、

ラムネがうまく出てこないのだ。

ラムネの瓶は飲み口の下くらいにくぼみがある。

そのくぼみにビー玉を引っ掛けて、ラムネを飲む。

ラムネは小さい頃によく飲んでいたはずだが。

なぜかうまく飲めない。

というより、ラムネにビー玉って必要なん?

飲みづらいだけじゃないか。

普通に飲ませたらいいやん。

ビー玉は、炭酸を閉じ込めるための栓の役割。

それは昔の名残りだ。

今はビー玉がなくても炭酸は閉じ込めることができる。

飲みにくいだけやん。

これまで僕は、ラムネのビー玉に対してなんの感情も持たなかった。

ラムネにビー玉は当たり前の備え付けだった。

普通に飲めば、ラムネのビー玉=昔の名残・風情なのかもしれない。

しかしだ。

早飲みをして初めて思った。

「ビー玉はいらない」「早く飲むのにビー玉は邪魔だ。飲みにくいだけだ」と。

これが価値観の相違の始まりだ。

「ラムネを早く飲む」ということになった時に、ビー玉の存在とは何か?

という考えが生まれてくる。

いかん、いかん。早飲みというフィルターを通したら、

ビー玉がただの邪魔者になるのだ。

と色々書いたが、

結論、ラムネにはビー玉はあった方がいいと思っている。

ビー玉のないラムネは、ラムネっぽくない。

それはラムネではなく、サイダーになってしまうからだ。

ビー玉が瓶に当たって、「カラン」という音がする感じも

風情があっていい。

夏祭りに氷水で冷やしているラムネを見ると夏を感じるし。

基本、ラムネの早飲みはしないし。

やはり、ラムネはあの瓶の形でビー玉は必要だ。

あっ、ゴーヤをうちに置いてくれた人の話だ。

その人は、夏祭りに来ていた。ゴーヤをくれたのは近所の人だった。

「家にゴーヤ置いたよ」って教えてくれた。

夏祭りに行ってなかったら、

ずっと分からないままモヤモヤしていたかもしれない。

写真は、お裾分けでもらったゴーヤとヤリイカの炒め物。

ヤリイカもいただいたものだ。今年は九州は夜焚きイカ(船でのイカ釣り)の調子がいいみたいだ。

新鮮なイカの旨みとゴーヤの程よい苦味合わさって、

うまい!