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今日という一日を、どんな過去にしたいか?

すみません。

最近、少し時間に余裕ができて、またコラム熱が上がってきた勢いで、

今日はちょっとカッコつけて哲学的な内容にしたいと思います。

「あなたは、どんな未来にしたいですか?」

そんな問いを投げかけられた時、すぐに答えられる人は、どのくらいいるのだろう。

もちろん、明確な目標や夢がある人にとっては、難しい問いではないかもしれない。

でも、未来という言葉が、どこか遠く感じられる人もいると思う。

まだ見ぬ自分。

まだ訪れていない時間。

まだ形になっていない何か。

未来を描こうとしても、どうにも輪郭が見えてこない。

僕がそうだった。今は明確にやるべきことが見えているが、

10年前の僕はとても、もがいていた。

それは未来の自分ばかりを想像して描こうとしていたからだ。

イメージしても何かピンとこない。

そんな時は、少しだけ問いを変えてみるといいかもしれない。

「どんな未来にしたいか?」ではなく、

「どんな過去にしたいか?」

一見すると、奇妙な問いだ。

「過去」はすでに終わったものなのだから、今さら変えようがない。

でも、僕は時々思う。

「人生のほとんどは、過去でできている」と。

未来とは、まだ訪れていない時間への予期であり、想像でしかない。

そして「今」という時間は、驚くほど短い。

今だと思った瞬間に、その今はもう過去になっている。

例えば、友人と何気ない会話をしている時。

自分の口から出た言葉は、相手の耳に届いた瞬間には、すでに過去のものになっている。

「あっ、今の言葉は、ちょっとまずかったかも」

そう思った時には、もう遅い。

言葉はすでに自分の口を離れ、相手の中に存在している。

言い直すことはできても、言わなかったことにはできない。

言葉ひとつでさえ、僕たちは過去をつくり続けている。

そう考えると、人生とは、未来へ向かって進んでいるようで、

実は絶え間なく過去を積み重ねている行為だと言える。

例えば、京都へ旅に出るとしよう。

「京都へ行く」

出発する前は、それが未来だ。

どんな景色が待っているのか。

何を食べようか。

どんな出会いがあるのだろう。

まだ何も起きていない。

ところが、車を走らせ、北九州を抜け、山口県を通過し、岡山県を過ぎていく。

そのひとつひとつが、次々と過去になっていく。

途中で立ち寄った食堂。

そこで食べたアジフライが、驚くほど美味しかった。

そして、一緒に注文した貝汁。

何だ、この貝の量は!

最高やん!

思わず声が出る。

さらに車を走らせ、ふと目に入った夕陽があまりにも美しくて、思わず車を停める。

何度も夕陽を見てきたけれど、今日の夕陽は、これまでで一番綺麗だったかもしれない。

と思ったら、夜はカメムシの大発生。最悪やん。

そんな出来事が、次々と自分の過去になっていく。

目的地は京都だったはずなのに、心に残っているのは、途中で食べたアジフライや、貝が山ほど入った味噌汁や、名前も知らない場所で見た夕陽、大量のカメムシだったりする。

考えてみれば、人生も同じなのかもしれない。

目的地に着くことだけが、人生の価値ではない。

そこへ向かう途中に、どんな時間を過ごしたのか。

何を見て、何を感じ、誰と笑い、何に心を動かされたのか。

人生の豊かさは、たどり着いた場所よりも、

そこへ至るまでに積み重ねた過去の中にあるのかもしれない。

そして、もうひとつ。

過去というと、どうしても懐かしむものや、振り返るものという印象がある。

時には、忘れてしまいたい過去もあるだろう。

失敗したこと。

後悔したこと。

傷ついたこと。

恥ずかしいこと。

思い通りにならなかったこと。

できることなら、なかったことにしたい過去だってある。

僕もたくさんある。

でも、過去は必ずしも、良いものと悪いものに分ける必要はないと思う。

どんな過去も、自分という人間を形づくってきた素材だ。

美しい思い出だけで人生ができているわけではない。

失敗も、遠回りも、後悔も。

それらが混ざり合い、今の自分をつくっている。

そう考えると、過去とは単なる記録ではなく、

これからの自分をつくるための材料と言える。

過去を変えることはできない。

でも、過去の意味は変えられる。

あの時の失敗があったから、今の自分がある。

という動線を作ればいい。

あの時の遠回りがあったから、出会えた人がいる。

そうやって、「過去に新しい意味を与えること」ができれば、

それは未来を考えることにもつながっていく。

だから、もし「どんな未来にしたいか?」という問いに、

うまく答えられないのであれば、

無理に未来を描こうとしなくてもいい。

代わりに、こう考えてみる。

「今日という一日を、どんな過去にしたいか?」

今日、誰かと笑ったこと。

美味しいものを食べて、幸せを感じたこと。

知らなかったことを、ひとつ知ったこと。

誰かに優しくできたこと。

あるいは、何もせず、ただゆっくりと過ごす。

ひたすら同じことをやってみるとか。

未来は、遠くにある目的地ではなく、

今日という時間の積み重ねによって、少しずつ姿を現していくものなのかもしれない。

だからこそ、未来を考えることと、過去を大切にすることは、決して反対の行為ではないと思う。

むしろ、同じことなのかもしれない。

どんな未来にしたいか。

その答えが見つからない時は、

どんな過去にしたいか。

そう問いかけてみる。

そして大切なのは、今までの過去に意味を持たせること。

人生のほとんどは、過去でできている。

これからつくる過去だけは、まだ自分で選ぶことができる。

きっと、その選択の積み重ねが、いつか未来と呼ばれるものになるのだと思う。

夜にふと書いたコラムだから、明日の朝見たら恥ずかしいと思う。

これは、書き手、作り手のあるあるパターンだ。

しかし、これも自分の過去として、ここに記しておこう。

2026年10月30日の夜

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