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ごどうふの「説」を推測する。
「ごどうふ」は、佐賀県有田町発祥の豆腐だ。
「ごどうふ」は、豆乳をでんぷんや葛(くず)を加えて固めているので、
もっちりと伸びがあって、ねっとりと柔らかい。ツルンとしていて見た目はプリンのようだが、
食感はわらび餅のようなイメージだ。
九州特有の甘めの醤油をつけて食べる。
黒蜜やきな粉をつけても合うようなスイーツ感のある豆腐だ。
昔は砂糖が高いし、手に入らないし、甘いものは高価だったから、おやつがわりにこの豆腐を作ったのかな?
食の始まりというのは、何かの代用(ない代わりにつくってみたら美味かった)パターンが多い。
呉豆腐というから、中国から伝わったのだろうか?
ネットで検索したら、昭和の初めに佐賀県有田の豆腐屋が長崎を訪れた際に
中国人から葛を使った豆腐を教わったという説があるそうだ。
でたよ、ここでも「説」。ほんと、この昭和初期時代の食の発祥は「説」が多すぎる。
ハヤシライスの時もそうだったが、「説」って。
これを考えていてふと思ったのが、「説」になるパターンというのは言い方は悪いが、
はっきりと言えば「パクった」という罪悪感があるからだろうか。
自分から「私が考えた」とハッキリと言えない感じがあるからかもしれない。
考えた人が、真面目なのかもしれない。もしくは控えめな人なのかもしれない。
ハヤシライスもそうだが、カレーライスの代用で別の似た感じのものを作ったら、思いのほか人気が出た。
でもカレーをパクったって言われたくないから、自分から公表していない。ということでは?
では、「ごどうふ」はどうなのか?
佐賀と長崎は近いから、「ごどうふ」は長崎経由で伝わったのはイメージできる。
実際に長崎には、同じタイプの甘いスイーツ系豆腐で「胡麻豆腐」がある。
胡麻豆腐は豆腐自体が甘め。胡麻がたっぷり入っていて、色は茶色だ。
ただ「胡麻豆腐」の食感は、同じモチモチ系であっても
「ごどうふ」ほど、ねっとりとしてなくて、なめらかな感じだ。
長崎の「胡麻豆腐」は江戸時代に隠元禅師が、中国の精進料理から持ち込んだとされている。
この長崎の胡麻豆腐からヒントを得て、
佐賀オリジナルの胡麻豆腐を作ったのが「ごどうふ」になったという説。
でもこれをパクったというべきなのか?アレンジということでいいのでは?
同じグルメでも、それぞれの土地で変化する。食文化というのは、そういうものだ。
日本人は0→1の発想は得意ではないが、1→10のアレンジ・加工は得意な人種だ。
だから堂々と「私がごどうふを作りました」と言えばよかったのに。
考えた本人の言い分はこうだ。(あくまで推測)
だって、そこまで広がるとは思ってなかったし、なんか嫌やん。「長崎の胡麻豆腐をパクった。」って言われるの。近所の目もあるし。
ただ実際、俺はオリジナルと思うんよね。俺のアレンジやん。色も白やん。長崎の胡麻豆腐は茶色やん。食感も葛を入れて変えてるし、違うと思うんよね。
でもさ、親戚がうるさいのよ。あんまり、「俺が作った」って言わない方がいいって。
何か本人以外の圧力が働いたのではないのか?
そんな感じで、ごどうふの発祥は説になったのだと思う。(あくまで推測)
きっと考えた人が、控えめな人だったんだろう。でもその感じが精進料理から伝わった豆腐らしくていい。
「ごどうふ」は時間をかけて、ちゃんと今に、広く伝わっている。その感じ、僕は好きです。
「ごどうふ」はおいしい。
我が家は、佐賀有田に行けば、必ず買うくらい「ごどうふ」が好きです。
まぁ食べておいしければ、説なんて関係ないけどね。
